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旧陸軍桶川飛行学校跡地

桶川の荒川河川敷にホンダの飛行場(ホンダエアポート)があるのは知っていたのだが、その近所に旧陸軍の飛行学校があると知人に聞き訪ねて来た。地図で調べてみたら(詳しくはこちら)、鶴ヶ島から15km位とのことあったので、天気がいいこともあり自転車で出発。荒川の大きな橋(右衛門橋)を渡りきって測道を少し戻ると看板をみつけた。

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そしてさらに進むと朽ちかけた感のある木造の建物群が姿を現す。

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正面の建物へと向かうと老人が迎えてくれた。お時間はありますか?とのことで、午後二時だったこともあり、はいと答えて説明を伺うことにした(これが後に大変なことになる=>後述)。老人は「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」の方で、戦争当時は近所に住む小学六年生だったとのこと。飛行学校で訓練する若者や、戦後の引揚者などを、生で見ていた方の話を伺うという貴重な機会。
昭和12年に開校し、陸軍の操縦士の訓練を行い、終戦までの間に1600名もの操縦士を養成して戦地へ送り出したとのこと。終戦間近の昭和20年3月には特別攻撃隊の訓練基地となり、ここから飛び立った12名が沖縄海戦にて特攻で戦死されたとのこと。特攻機は副座式(二人乗り)の機体で、山口までは整備士とともに飛行していったとのこと。ボロい機体のため、途中での故障も考えられたため、整備士も同乗したというのが、その理由とのこと。「帰りの燃料はない」という台詞は聞いたことはあったが、飛行機本体も、そんなあやしげな機体で戦艦に突入していたとは知らなかった。
特攻機を整備し、山口まで同乗した方の話も伺うこともできた。まさに時代の生き証人の話である。
妻と子供もいるのに特攻に向かう操縦士と交わした言葉などなど、あまりに重く貴重な話。

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施設は、写真を見て分かるとおり相当老朽化しているが、逆に言えば、ほぼ当時のままで保存されているということ。施設の保存や手入れは「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」の方により行なわれている。

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戦後は、東京から焼き出された方や、満州からの引揚者を収容し、なんと平成17年まで住んでいた方がいたとのこと。まさに、生々しい施設と言える。部屋に置かれた火鉢やカレンダーが生活の跡を物語る。



他にも多くの写真があるので、「旧陸軍桶川飛行学校跡地アルバム(Google+)」もご覧下さい。

この施設は「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」により保全、管理が行なわれています。より詳しい情報は語り継ぐ会のHPに記載されていますので、是非、ごらんください。
でも、できれば直接訪ねて、残された建物、資料などを見て、特攻隊機の整備をされた方の話を耳にして欲しいと思います。

ただ、説明していただく会の方の話が非常に丁寧でありまして、掲示物のひとつひとつを丁寧に解説していただけます。2時に着いて余裕だと思ったのですが、気づいたら4時を回ってしまっていて、帰路自転車の私は、説明途中で帰ることに。...ということで、訪ねる際には早めに行くと良いかもしれません。

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大きな地図はこちらから(Google Maps)

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